新規事業の成否を分ける:デザイン思考「定義」フェーズにおける課題深掘りワークショップ設計
デザイン思考を用いた新規事業開発において、アイデアの方向性を決定づける最も重要なフェーズの一つが「定義」です。このフェーズでは、共感フェーズで得られた多様な情報を整理し、ユーザーの真のニーズや課題を明確にすることで、解決すべき本質的な問題を特定します。曖昧な課題設定は、その後の創造フェーズで生まれるアイデアの品質を低下させ、事業の方向性を見失うリスクを高めます。
本記事では、新規事業の成功を左右するデザイン思考「定義」フェーズに焦点を当て、効果的なワークショップ設計と、参加者から深い洞察を引き出すための実践的なファシリテーション方法を詳しく解説いたします。
1. 「定義」フェーズの目的と新規事業における意義
「定義」フェーズは、共感フェーズで収集した膨大な情報の中から、最も重要な「点」と「点」を結びつけ、顧客の抱える具体的な課題やニーズを「線」として明確化するプロセスです。
1.1. 共感フェーズで得られた情報の整理と深化
共感フェーズでは、ユーザー観察やインタビューを通じて、ユーザーの行動、感情、発言、環境に関する多くの情報(データ)を収集します。しかし、これらの情報は断片的であり、そのままでは具体的な解決策に結びつきにくいものです。定義フェーズでは、これらの情報を体系的に整理し、表面的な問題の裏に隠された本質的なニーズや動機(インサイト)を発見することを目指します。
1.2. 事業仮説の核となる「課題」の特定
新規事業を成功させるためには、ターゲットユーザーが「ぜひ解決してほしい」と強く願う課題、つまり「ペインポイント」を明確に特定することが不可欠です。このフェーズで特定された課題が、事業の核となり、その後のソリューション開発の方向性を定めます。課題が明確であればあるほど、創造フェーズで生まれるアイデアはより焦点を絞られ、具体的な価値提供へと繋がります。
1.3. 曖昧な課題設定がもたらすリスク
もし課題設定が曖昧であったり、表面的な問題に留まったりすると、以下のようなリスクが生じます。
- 無関係なアイデアの創出: 課題が不明確なため、ユーザーにとって価値のない、あるいは優先順位の低いアイデアが多数生まれてしまう可能性があります。
- 議論の迷走: アイデア創出の方向性が定まらず、ワークショップ全体が迷走し、時間とリソースが無駄になる恐れがあります。
- 実行フェーズでの手戻り: プロトタイプ開発やテストの段階で、初期の課題設定の誤りに気づき、大幅な軌道修正や手戻りが発生する可能性があります。
2. 「定義」フェーズのワークショップ設計:3つのステップ
「定義」フェーズは、大きく以下の3つのステップで構成されます。それぞれのステップで、具体的なアクティビティとファシリテーションのポイントを解説します。
2.1. ステップ1: 情報の整理とグルーピング(アフィニティダイアグラム/親和図法)
共感フェーズで収集した生の情報を整理し、パターンや関連性を見つけ出すためのステップです。
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アクティビティ例:
- 情報の書き出し: 共感フェーズで得られたインタビュー記録、観察メモ、インサイトなどを、一つずつ付箋に書き出します。デジタルツール(Miro, Muralなど)を使用する場合は、デジタル付箋を活用します。
- 壁への貼り出し/デジタルボードへの配置: 書き出した付箋を、ホワイトボードや壁、またはデジタルボード上にランダムに貼り出します。
- グルーピング(親和図法): 参加者全員で、類似する情報や関連性の高い付箋を物理的に、あるいはデジタル上でグループ化していきます。この際、会話は最小限にし、直感的にグループ分けを進めることが重要です。
- グループのラベリング: グループ化された情報の集まりに、そのグループが示唆する内容を簡潔に表すタイトルやラベルを付けます。
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ファシリテーションのポイント:
- 共通認識の形成: 全ての参加者が全ての情報に目を通す時間を確保し、初期段階での理解のズレがないように促します。
- 多様な視点の尊重: グルーピングの際、異なる意見が出た場合は、無理に一つのグループにまとめず、一時的に両方の可能性を残したり、なぜそう考えたのかの背景を軽く確認したりするにとどめます。重要なのは、強制的な合意ではなく、洞察の引き出しです。
- 時間管理: 情報量が多い場合は、時間制限を設けて効率的に進めます。例えば、グルーピングに20分、ラベリングに15分など。
2.2. ステップ2: 洞察の抽出(インサイトの発見)
整理された情報グループから、ユーザーの行動や感情の背後にある根本的な理由や、未だ満たされていないニーズ、隠された真実(インサイト)を深掘りするステップです。
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アクティビティ例:
- 「なぜ?」の問いかけ: 各グループやラベルに対して、「なぜこの情報がここに集まったのか」「このユーザーの行動の裏には何があるのか」「この発言の真意は何だろうか」といった「なぜ?」を繰り返して問いかけます(5 Whys)。
- ユーザー視点での解釈: グループ化された情報から、「ユーザーは〇〇だと感じているようだ」「ユーザーは〇〇に困っているようだ」といった、ユーザーの立場に立った解釈を導き出します。
- インサイトステートメントの作成: 導き出されたインサイトを簡潔な文章で表現します。例:「(特定のユーザー)は、(特定の状況)において、(特定のニーズ)を感じている。なぜなら(特定の理由)があるからだ。」
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ファシリテーションのポイント:
- 深掘りの質問: 表面的な理解に留まらず、「それはなぜそう思うのですか?」「他に何か見えてきませんか?」「もしこれが本当だとしたら、何が言えるでしょうか?」など、参加者の思考を深く掘り下げる質問を積極的に投げかけます。
- メタ思考の促し: 個々の情報だけでなく、情報群全体から見えてくるパターンや共通点に着目するよう促します。「この3つのグループから共通して言えることは何でしょうか?」
- 仮説の提唱と検証: インサイトは仮説であることを明確にし、その後のアイデア創出やテストを通じて検証されるものであることを強調します。
2.3. ステップ3: 課題の明確化(POVステートメント/「How Might We (HMW)」問い)
発見されたインサイトに基づき、解決すべき課題を明確なステートメントや問いの形に落とし込むステップです。これが創造フェーズにおけるアイデア発想の出発点となります。
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アクティビティ例:
- POV(Point of View)ステートメントの作成:
- テンプレート例:「[ユーザー名]は、[ニーズ]を求めている。なぜなら[インサイト]があるからだ。」
- 例:「忙しいビジネスパーソンは、隙間時間で効率的に学習したい。なぜなら、スキルアップの必要性を感じているものの、まとまった学習時間を確保できないからだ。」
- HMW(How Might We)問いの作成:
- POVステートメントを具体的な問いの形に変換します。
- テンプレート例:「私たちはどのようにすれば、[特定のユーザー]が[特定の問題]を[特定の恩恵]で解決できるだろうか?」
- 例:「私たちはどのようにすれば、忙しいビジネスパーソンが、移動中に手軽に専門知識を習得し、自己成長を実感できるだろうか?」
- HMW問いは、広すぎず狭すぎない範囲で設定することが重要です。広すぎるとアイデアが拡散し、狭すぎると可能性を限定してしまいます。
- POV(Point of View)ステートメントの作成:
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ファシリテーションのポイント:
- 具体性と方向性のある問いへの誘導: 漠然とした問いではなく、具体的なユーザーとニーズ、そしてそれが解決されたときに得られる価値がイメージできる問いになるよう導きます。
- 広さと深さのバランス調整: 作成されたHMW問いが適切か、「もっと広げられないか?」「もっと具体的にできないか?」といった視点で問いかけ、参加者自身に調整を促します。
- 合意形成: 複数のPOVステートメントやHMW問いが出た場合、参加者による投票や議論を通じて、最も優先すべき課題(問い)を決定します。
3. ファシリテーションの具体的なテクニック
「定義」フェーズのワークショップを成功させるために、ファシリテーターが活用すべき具体的なテクニックをご紹介します。
3.1. 議論の活性化と全員参加の促進
- 発言機会の均等化: 一部の参加者だけが話す状況を避けるため、意図的に発言の機会を与えたり、ペアワークやグループワークを取り入れたりします。
- 「沈黙」を恐れない: 参加者が深く考える時間を与えるために、沈黙を許容することも重要です。ファシリテーターが焦って介入せず、参加者自身の内省を促します。
- 「5 Whys」を効果的に活用する: 表面的な問題に対して「なぜ?」を5回繰り返すことで、根本原因やインサイトに到達しやすくなります。ファシリテーターがその問いかけのモデルを示し、参加者に実践を促します。
3.2. 対立意見への対応と統合
- 異なる視点の「両立」: 意見が対立した場合、「どちらが正しいか」ではなく、「両方の意見が何を語っているのか」「それぞれの背景にはどのような情報があるのか」を深掘りし、統合的な視点を見出すよう促します。
- 意見の「見える化」: 対立する意見やその根拠をホワイトボードなどに書き出し、視覚的に共有することで、感情的な対立ではなく、情報に基づいた議論に転換させます。
- 共通の目的の再確認: 議論が本筋から逸れたり、感情的になったりした場合は、ワークショップの目的や定義フェーズのゴールを再確認し、冷静な議論へと立ち戻るよう促します。
3.3. ツールの活用とタイムライン設計
- デジタルコラボレーションツールの活用: MiroやMuralのようなオンラインホワイトボードツールは、遠隔地からの参加者がいる場合や、大量の情報を効率的に整理するのに非常に有効です。テンプレート機能も充実しており、ワークショップ設計の負担を軽減します。
- 物理的なツールの活用: 付箋、模造紙、ホワイトボードといった基本的なツールも、参加者の思考を「見える化」し、共有する上で非常に強力です。
- タイムボックス(時間制限)の設定: 各アクティビティに厳密な時間制限を設けることで、議論の集中力を高め、ワークショップ全体の進行をスムーズにします。進捗が遅れている場合は、ファシリテーターが介入し、次のステップへと促す勇気も必要です。
4. よくある課題とその対処法
「定義」フェーズのワークショップで遭遇しやすい課題と、それに対するファシリテーション上の対処法をご紹介します。
4.1. 情報量が多すぎてまとまらない場合
- 対処法:
- 情報の絞り込み: グルーピング後に、投票システム(ドット投票など)を使って、最も重要だと考える情報やインサイトに焦点を当てるよう促します。
- 階層化: 最初は大きなグループに分け、その後にさらに小さなサブグループに分割するなど、段階的に情報を整理する方法を提案します。
- ファシリテーターによるガイド: 議論が迷走し始めたら、ファシリテーターが主導して一旦議論を止め、情報の整理の方向性や目的を再確認させます。
4.2. 表面的な課題設定に留まってしまう場合
- 対処法:
- 「Why」の深掘り: 作成された課題やインサイトに対して、ファシリテーターが繰り返し「なぜそう言えるのか?」「その根本にあるものは何だろうか?」と問いかけ、深層にある理由を探るよう促します。
- 視点の切り替え: 「もしあなたがこのユーザーだとしたら、本当にこれが一番困っていることだろうか?」「この問題が解決されたら、ユーザーは他に何をできるようになるだろうか?」など、別の角度からの質問を投げかけます。
- 具体的なエピソードへの回帰: 抽象的な議論に陥った際は、共感フェーズで得られた具体的なユーザーのエピソードや発言に立ち返り、そこからインサイトを再発見するよう促します。
4.3. 特定の参加者が議論を支配してしまう場合
- 対処法:
- 発言ルールの設定: ワークショップ開始時に、「一人一回発言」「特定のテーマについて短く意見を述べる」などのルールを設定し、共有します。
- ペアワークや少人数グループワークの導入: 議論を小分けにすることで、発言しにくい参加者にも意見を述べる機会を創出します。
- ファシリテーターからの指名: 特定の参加者ばかりが発言している場合、意図的に「〇〇さんのご意見はいかがですか?」と、まだ発言していない参加者に問いかけ、発言を促します。
5. まとめ
デザイン思考における「定義」フェーズは、新規事業アイデアの品質と方向性を決定づける極めて重要なプロセスです。本フェーズでユーザーの本質的な課題を深く掘り下げ、明確に定義できるかどうかが、その後のアイデア創出、プロトタイプ開発、そして事業の成功に直結します。
ワークショップの設計においては、情報の整理・グルーピング、インサイトの抽出、そして課題の明確化という3つのステップを論理的に繋ぎ、参加者全員が主体的に思考し、議論に参加できるようなアクティビティを組み込むことが重要です。
ファシリテーターとしては、議論を活性化させ、深掘りの質問を投げかけ、時には対立する意見を統合へと導くための具体的なテクニックを駆使することが求められます。本記事でご紹介した実践的なノウハウが、皆様の「定義」フェーズにおけるワークショップ設計とファシリテーションの一助となり、組織における新規事業創出の推進力となることを願っております。